今年は、3月16日の日没からプリムの祭りが始まります✨

今年は、3月16日の日没からプリムの祭りが始まります✨
プリムの祭りは、エステル記9章17節~22節に書かれてある通り、アダル月の14日にお祝いします。
 プリムは、子供も大人も仮装をする楽しいお祭りです。
これは、エステルがユダヤ人であることを隠していたことにちなんでいます。
ユダヤ教の会堂シナゴーグでは「メギラー」といってエステル記が朗読されます。
その時に「エステル」と「モルデカイ」の名前が呼ばれると歓声をあげ、逆に宿敵である「ハマン」の名前が出てくる度にガラガラと音の鳴るオモチャを鳴らしたり、足を踏み鳴らして音を出します。
また、「オズネイ・ハマン(ハマンの耳)」という三角形のお菓子を食べます。これはハマンが三角形の帽子をかぶっていたことにちなんでいます。
エステル記9:22にあるように、この日は町中の貧しい人々に贈り物をします。
エステル記には神様の名前は全く出てきません。一度も出てきません。 しかし、この物語の中に神様はおられます。神様の存在は、一連の「偶然の一致」を通してはっきりとわかるのです。偶然とみえる一連の出来事は、すべて神様の働きです。
 ユダヤ人を絶滅させるために、ハマンはある日を選びました。どのように選んだかと言いますと、エステル記3章7節「アハシュエロス王の第十二年の第一の月、すなわちニサンの月に、日と月とを決めるために、ハマンの前で、プル、すなわちくじが投げられ、くじは第十二の月、すなわちアダルの月に当たった。」
 「プル」つまり「くじ」を引いて決めたのです。プルの複数形が「プリム」なので、それが祭りの名前となりました。つまり「プリム」の意味は「くじ」です。
ハマンは、ユダヤ人を滅ぼすのに、くじを投げて日を選びました。ところが、その日がユダヤ人の祭りの日となったのです。
悲しみが喜びに変わったのです。皆さんは、人生は何で決まると思われますか?運や偶然、境遇や人間の意志で決まるのでしょうか?たいていの人はそう思っていますし、ハマンもそうでした。しかし、聖書の立場はそうではありません。聖書は、人生は「運」によって編成されるものであるとは教えていません。
 たとえ、表面上は人生の出来事は行き当たりばったりのように見えても、アブラハム、イサク、ヤコブの神であり、全知全能の父なる神によって、全てが支配されていると聖書は教えています。
箴言16:33「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。」
たとえ私たちそれぞれに何が起こったとしても、それは主が決められたことなのです。
 行き当たりばったりか偶然のように見受けられる出来事は、神様のご計画と配慮によって実際に管理し、決定されたものなのです。神様は、全てを管理しておられます。ところが、私たちから見ると、それらの事柄は、幸運か偶然の一致のように思えるのです。しかし、偶然に起きることは何もありません。単なる幸運とか、災難によって物事が決まることはないのです。
全ての物事は、神様の意志や計画、目的によって起こるのです。
 エステルは、実に数奇な運命によって、イスラエルの民が危険にさらされたちょうどその時、王にとりなしを頼むことができる地位の場に居合わせました。
彼女が邪悪な陰謀を止められる場に居合わせたのは、ただの偶然によるものだったのでしょうか。もちろんそうではありません。1章に出てくる、王妃ワシュティが宦官から伝えられたアハシュエロス王の命令を拒んで来ようとしなかったので、王は非常に怒りました。このことも偶然ではありません。
ワシュティは、アハシュエロス王の前に出てはならないという勅令が出て、王のお心にかなうおとめをワシュティの代わりに王妃とすることになったことも、そして、モルデカイがおじの娘のエステルを引き取って自分の娘にしたことも、偶然ではないのです。そして、エステルもシュシャンの城に集められて、アハシュエロス王の好意と恵みを受け、アハシュエロス王は、ついに王冠をエステルの頭に置き、ワシュティの代わりにエステルを王妃としたのです。
モルデカイの言葉は、その答えを暗示しています。
エステル記4:13~14「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
神の民であるイスラエル民族、ユダヤ民族は、試練と迫害の連続ですので、ホロコーストなど何度も民族ごと抹殺や虐殺されるという試練に遭ってきました。
エステル記は、一番最初にユダヤ民族が抹殺されそうになるのを救われたお話です。つまり、一番最初のホロコースト、ユダヤ人大虐殺が起こりそうになったのをまぬがれたお話なのです。
  エステルは、自分がユダヤ人であることを明かし、快適な地位を捨てて、命を危険にさらしてまで、ユダヤ民族のためにとりなしをするように求められました。エステルの苦悶は、運命のいたずらのように見えます。それにも関わらず、エステルは勇気を持って、この困難な状況を受け入れました。ペルシャが地上において最強の帝国であったまさにその時、無名のユダヤ人の少女がその女王の座を得るなど、偶然の出来事ではありません。
 エステルはすべての人に自分がユダヤ人であることを隠していたことも、神様は用いられました。そして、自分がユダヤ人であることを明らかにした時に、ユダヤ民族全体の救いをもたらし、破滅から救ったのです。全てをご存知の神は、偉大な目的を成し遂げるために、これらの境遇を定められるのかもしれません。たとえ、私たちには、神様の御手の働きが見えないかもしれませんが、神様に従うべきです。
そして、モルデカイのように、私たちは全ての境遇の中で正しいことを選択しなければなりません。隣人の危険に対する無関心を正当化してはいけないのです。
ヒトラーがナチス・ドイツを率いてホロコーストユダヤ人大虐殺という、まさに恐ろしい犯罪行為を可能にしたのもこの無関心からでした。
「すべての境遇の中で、正しいことを選択する」これが、エステル記の私たちに教えている大切なメッセージなのです。
 困難な状況に直面した時、これらの人生の試練や苦難が神様の支配下の中にないと思ってはいけません。神様はご臨在されています。たとえ私たちが表面的には神様の御手の働きを見ることが出来なかったとしても、神様の摂理とご支配を認識することが出来ます。私たちは絶えず、神様がすべての主であられ、天国と地上でのすべての権限をもたれていることを知っています。そして、私たちの人生において神様の完全な意志が成就されることを信じることが出来るのです。
メギラー、エステル記の主人公は、エステルでも、モルデカイでもなく、目には見えないけれど生きて働いておられる神様です。神様は、不可能と思える状況の中でユダヤ民族を救うために、エステルやモルデカイを使われて、その背後で働かれていたのです。
 時代や歴史の至るところで、ハマンやヘロデやヒットラーのような人物、凶悪で残酷非情な人物が現われて、ユダヤ民族の滅亡を抱いているのです。これからも、反キリストが現れると聖書には預言されています。しかし、王の王、主の主である神様は、いつも生きて働かれ、ユダヤ民族を滅ぼしたり、ご計画が妨げられることをお許しにはならないでしょう。
私たちが、いまの時代に生かされているのは、決して偶然ではありません。エステルやモルデカイのように、神様により頼み、従うものとして歩んでいきましょう。
 神様の祝福が豊かにありますように