ハヌカの祭りについて     

キラキラハヌカの祭りについて     宮本 純子キラキラ

今年は12月3日から10日までハヌカのお祭りですキラキラハヌカについてお話しますキラキラ

ハヌカの奇跡キラキラ

 みなさんは「ハヌカの奇跡」をごぞんじでしょうか?ハヌカというのは、昔イスラエルで、ユダヤ人たちがシリアの人々と戦ったときに起こった大いなる奇跡の物語りです。

 3年間の戦いの末に、彼らはエルサレムとそして神殿を回復し、神殿の中を照らすのに用いられていた聖なる黄金のメノラーに火を灯しました。しかし、燃料の聖なる油が十分にありませんでした。ところが奇跡が起こって、たった1日分の油しか無かったのに、次の油が準備できるまでの8日間もメノラは燃え続けたのです。これがハヌカの奇跡でした。キラキラ

 ハヌカの祭りの時は、「光」にちなんで、ハヌキヤという9本の燭台を用います。お祭りの一日に一本ずつローソクに火を灯していきます。そして、「油」にちなんでスフガニヤというドーナツやラトケスという揚げポテトパンケーキを食します。「奇跡が起こった」という意味のセビボンというコマを回します。キラキラ

 ハヌカにおける奇跡というのは、ユダヤ人たちがハスモン家の人々と一緒になって立ち上がり、シリアの非常に強力な軍隊を打ち破ることができたということなのです。

 シリアの軍隊というのは、その当時の大きな軍事勢力だったのですが、ユダヤ人たちはこの軍隊を相手に何度も何度も奇跡的な勝利を収めました。

 多くの戦いがあったのにユダヤ人たちの損害は非常に少なく、15倍という圧倒的な兵力の差があったにもかかわらず、その勝利はシリアの軍隊が完全に打ち負かされるまで続きました。そして、聖なる都エルサレムがついに取り戻され、神殿が清められ、唯一にして真の生ける神の礼拝のために再び献堂が行われたのです。(奉献の祭り)キラキラ

 ハヌカの祭りはゲウラ(贖い)ということについて多くのことを私たちに教えてくれます。贖いはどのように始まるのでしょうか。

 私たちがハヌカの祭りを祝う時、私たちは勝利、奇跡、そしてその喜びのことばかりを考えますが、まずその当時の状態がどうであったかをお話します。

ユダヤ人の不信仰

 勝利の奇跡の前はまったく絶望的な状態でした。それは、ユダヤ人たちの指導者たちは、すべてギリシャの思考方式であるヘレニズムを受入れ、全くユダヤ性を失っていたからです。ユダヤ人の王でさえ、アブラハムとかイサクとかいうユダヤ式の名前をつけず、自分でギリシャ式の名前をつけていたのです。そして、大祭司も同じようにギリシャ式の名前を付けていたのです。世界を照らすべきイスラエルの民が、闇に加わるという結果になっていたのです。  

 ハヌカの事件があった時代には、世界中の人々の中で、唯一の神を信じていた人はあまりいませんでした。イスラエルの王も大祭司でさえも信じていなかったのです。

 しかし、ユダ・マカビの一家だけは違っていました。ハヌカの祭りにおける特別な祈りの「アル・ハ・シーム」の中には「少数の者の手に神様が多くの人々を渡された」という言葉があります。キラキラ

少ない者の勝利

 私たちは多いとか少ないとか言いますが、いったいどれだけを多いと言うのでしょう。「多い」というのは、非常に多く、つまりアレキサンダー大王の軍隊が世界を制覇したような非常に多い数です。また、少ないというのは、本当に少数のことだと思います。マカビーのマタテヤの息子たち5人の他に、彼らの支援者を足して、全部で12人だったのです。つまり、12人の男が超大国に対して立ち上がったのです。だれも倒すことのできなかった世界的な超大国に対して彼らは立ち上がりました。これは全く驚くべきことで、これがハヌカの出来事なのです。たった12人の男たちが、世界最強の軍事勢力を倒したのです。このようなことがかつてあったでしょうか。キラキラ

 この少数の人々は、彼らが正しいこと、自分たちが真理を代表する者であり、偶像崇拝者は間違っている、ということを知っていたのです。ですから、彼らは妥協を拒み、そしてついに敵に打ち勝つことが出来たのです。キラキラ

 今日、世界中を探し回っても、ギリシャの神々を信ずる人々を見出す事はできません。いつの時代にも偶像礼拝や汚れたことを信じる人々はまだ数多くいますが、しかしあんなに魅力的だったギリシャの神々は完全に忘れ去られているではないでしょうか。キラキラ

 ハヌカの祭りは今日においても同じような価値を持っています。キラキラ

 イスラエルという国はどのようにして建国されたでしょうか。やはり少数の人々が多数の人々に対して立ち上がったのです。イスラエルという国家の建設は「強いものが弱い者の手に渡された」という明らかな例なのです。キラキラ

 ユダ・マカビという人も、勇敢な戦士だったように書かれていますが、肉体的な強さが彼の強さでは無かったのです。かえって、肉体的な訓練を行い、オリンピックの競技を発達させたギリシャ人たちこそが、肉体的な強さに信頼を置いていたのです。キラキラ

 しかし、ユダ・マカビは霊的な強さを持っていました。神の正義があり、正しいということを知って前進するのであって、他の事柄は問題ではないのです。これがハヌカの教訓です。キラキラ

 そして、その当時のイスラエル民族の中にも、民族全体に霊感を吹き込むことのできる、ほんの少数の人々がいました。ほんの少しの人々が民族全体を変えてしまったのです。「私たちは祖先たちの信仰に立ち返り、ギリシャの偶像を捨てようではありませんか。」と、言う人たちがいたのです。キラキラ

 こうして、世界の革命がハヌカの日から始まりました。ハヌカの事件の前には、世界には偶像崇拝が満ちていました。全世界が異教を信じていたのです。しかし、ハヌカの事件の時から、世界は偶像礼拝を離れる道を歩みはじめました。それが唯一の神への信仰に道を開くことになったのです。ハヌカから少しずつ少しずつ世界は変わり始め、偶像礼拝を捨て、唯一の神を信じるようになっていったのです。キラキラ

 聖書が私たちに教えているように、終わりの日にはすべての人々が「イスラエルの神が支配者であり、彼の支配によってすべてのものが動いている。」と言う時代がきます。キラキラ

 私たちが本当にしなければならないのは、聖書を開き、神がモーセやイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ホセアなどの預言者を通して学び、神が彼らを通して何を言っておられたかということを、はっきりと知るべきでなのです。キラキラ

 預言者たちが語ったことは、これから起こる事柄だからです。神の言葉は永遠に続くからです。キラキラ

 ハヌカの教訓というのは、「強いものが弱い者の手に渡された」ということです。神を知る信仰によって、少しの勇気があれば、弱いものが強いものに打ち勝つことができるのであり、少しの信仰ある人々が多数の信仰のない人々に勝つことができるのです。信仰のあるたった1人の男性、たった1人の女性が、大変な困難にもかかわらず、強大で強力な敵に打ち勝つことができるのです。キラキラ

 神様がアブラハムに召命を与えられた時、この世界はどのような状態だったでしょうか。世界全体が霊的な闇の中にありました。ノアの大洪水のあと、人間は増えて広がりましたが、人々はまたすぐに神を捨て、命の源であり祝福の源から離れ去ったのです。

 神を捨てることにより、社会的な面でもさまざまな悪影響が現れてきます。我々が神をどのように考えるかが、私たちの道徳や精神的な選択に、必ず影響を及ぼして来るからです。 神様はアブラハムに召命を与えられました。悪に染まり切ってしまった世界を相手に、たったひとりで一体何ができるでしょうか。ほとんど何もできないとお考えではありませんか。暗やみの中に一条の光が差し込んでも全体は照らせません。キラキラ

 しかし、たった1人の男性、たった1人の女性でも、その人が全能の神を信じるならば、すばらしい御業のために用いられることもあるのです。キラキラ

 どうして神様は、弱い民族であるイスラエルを選んで、ゲウラ、つまり贖いをなしとげようとされたのでしょうか。

 どうして神さまはもっと大きくて、力があり、影響力を持ち、世界で最も目立つ民族をお使いにならなかったのでしょうか。世界を神様のために建て直すために、バビロニアやエジプトのような大国をどうして選ばれなかったのでしょうか。大きな民族の方が、神様の目的を果たすにはふさわしいと考え勝ちですが、しかし、トーラー(律法)によれば、イスラエル民族が強大な国民ではなく、最も小さい民族があったからこそ、神様はイスラエル民族を特にお選びになったということがわかります。申命記7:6~7。キラキラ

 イスラエル民族は、数が少なく、大きくて強いアラブ諸国の国々の中に囲まれている、ちょうどオオカミの中にいる羊のような状態から、主はイスラエル民族をお選びになったのです。キラキラ

 それはイスラエルの民がいつも神により頼むように、そしてすべての強さは神様のうちにあることを知り、このような小さな民族でも、もし神を信じることができるならば決して負けないのだということを知るためなのです。神様に栄光をお返しすることができるためなのです。キラキラ

 ハヌカの教訓は、出エジプトからも見ることが出来ます。弱いイスラエル民族が、何十年にもわたる厳しい奴隷生活にもかかわらず、強力なエジプト帝国に打ち勝つことができたのです。モーセという偉大な霊的指導者を与えられ、神の信仰によって武装したユダヤ人は、奴隷であったにもかかわらず、パロ王と強力な軍隊を打ち破り、奴隷の家から解放されて自由となったのです。キラキラ

 この教訓は何でしょうか。弱い者が強いものに打ち勝てることです。信仰ある少数のものは、どんな困難があっても、最も力のある敵にも打ち勝つことができるのです。キラキラ

ヨシュアとカレブ

 神様はユダヤ人に与えようとしておられる約束の土地に10人のスパイを送りました。しかし、そのスパイたちが、40日間の偵察を終えて帰ってきたとき、彼らは何と報告したでしょうか。民数記13:27~29。

 要するに「私たちは彼らに勝てない。彼らは強すぎるから」というのが、彼らの結論だったのです。しかし、スパイたちの中で信仰ある2人のうちの1人だったカレブは人々をなだめてこのように言いました。「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」キラキラ

 ヨシュアとカレブは敵の数が問題ではないということを知っていたのです。弱いものであっても、神にある信仰で武装すれば、勝てるからです。そこで、彼らは人々に言いました。

「またその地の民を恐れてはなりません。彼らはわたしたちの食い物にすぎません。彼らを守る者は取り除かれます。主がわたしたちと共におられますから、彼らを恐れてはなりません」キラキラ

 しかし、イスラエルの民の大多数の人々は残りの10人のスパイたちの言うことと、外部の状況とを考え、カナン人たちの国の大きさや城壁で守られた堅固な都市を見て、本当に神様が弱い者の手に強いものを渡されるかどうか、不安になってきて、カナン人たちと戦うことを拒みました。そしてそればかりか、エジプトに帰ろうとさえしたのです。主は彼らの不信仰に大変お怒りになり、そしてイスラエルを滅ぼそうと思われ、新しい民族をモーセから始めようとされました。しかし、モーセがとりなしたので、神さまはユダヤ人たちを滅ぼすことをやめ、不信仰な世代が死に絶えるまでの40年の間、荒野をさまようという罰をお与えになったのです。

ヨシュアによるカナン征服へ

 この40年後、能力があり、霊的に優れた指導者ヨシュアの下で、新しい世代が敵の民族に対する勝利を得ることになりました。キラキラ

 それは、エリコの戦いもそうです。神様の命令に従って、戦士たちがエリコの城壁の回りを6日間にわたって1回ずつ歩き、7日目には7回も歩きました。それから、7人の祭司たちがショファー、角笛を吹き鳴らすと、その時城壁が崩れ落ち、強力な要塞都市だったエリコは破れ去ったのです。大きな勝利は、奇跡によるものでした。それは、肉によって生きている私たちが、肉に従って戦うべきではないということを教えられるための神様の御業でした。私たちの戦いの武器は、肉の武器ではなく、敵の要塞を打ち砕く神の力です。神の知識に対抗して掲げられるさまざまな思想や憶測を打ち砕き、そしてメシアに対する従順においてすべてのことを考えるのです。キラキラ

人となられたイエス

 新約聖書においても、神様はやはり同じように多数の人々を少数の人々の手に渡され、強い者を弱い者の手に渡されたのです。

 神の御子によって天地が創られ、その御子イエスがこの地上に降誕されました。

 イエスさまは、この世を照らすまことの光として来られたのです!

しかし、イエスは外面的強さや、力や栄光を持って来られたわけではありません。イエスはその全能の力を天に残し、ご自身を低くし、人間と同じような形をとられたのです。地上に顕現されたとき、聖霊によってマリヤがその御業に加わりました。キラキラ

 この地を創造され、力強い太陽や月や星を作られ、銀河も作られ、それぞれの天体を天上に並べられたその方が、か弱い人間の赤ん坊にまでなられたのです。

 ゲウラー、つまり人類の贖いは、私たちの救いであり、永遠の命です。キラキラ

 贖いは、ユダヤ人のものであり、異邦人のものです。弱い者も、強い者も、富める者も貧しい者も、すべての人々のための贖いが、赤ん坊のイエス様にかかっていたのです。

 その生涯の初めからイエス様には敵がいました。サタンは、邪悪な王ヘロデを使いました。ヘロデは、その当時世界でも最も強力な権力者のひとりであり、殺人的な暴君であり、多くのスパイを持ち、軍隊を持ち、強力な砦を持ち、しかも資金を持っていました。ヘロデはイエスが生まれたという噂を聞き、彼を殺そうと企てたのです。このヘロデの悪巧みの前に、弱く貧しかった聖家族、アリヤとヨセフ、そして赤子のイエスは何をすることができたでしょうか。彼らは神様から夢で与えられた警告を聞き、安全なエジプトに逃げることができたのです。弱いものが強いものに打ち勝ったのです。キラキラ

 イエスが成人にされたとき、多くの群衆が彼に従い、多くの弟子ができました。しかし、その弟子たちも、イエスの死の時には、ほとんど残っていませんでした。多くのものは彼が困っているときに見捨てて逃げ去ったのです。

 イエスは、打たれて血を流し十字架につけられましたが、神様はイエスの体をよみがえらせ、罪に対して勝利し、サタンと死を打ち負かされたのです。キラキラ

 その後、イエスは復活して11人の弟子達に現れました。お金もなく権力もなく、政治的にも経済的にも影響力を持たない者たちにです。しかし、神様は彼らを用いて世界をひっくり返されたのでした。信仰と義、光と救いと贖いの大きな運動がこのほんの少しの人々から始まり、世界のあらゆる国々にまで福音が広がったのです。キラキラ

 この教訓は何でしょうか?第一コリント1:26~31。

  日本におけるクリスチャンの数は多くはありません。私たちは神道や仏教を信じる一億何千万人という人々に囲まれていますが、それは問題ではありません。人間的な目から見たら、私たちは弱く、また少ないものです。しかし、主はわたしたちとともにおられます。キラキラ

 聖書で預言されたように、御言葉は世界の果てにまで宣べ伝えられています。キラキラ

 私たちは神の御言葉を持っています。そして神様の御心をこの地上において行おうとしています。ですので、神様の力もまた、わたしたちとともにあるのです。キラキラ

 マカビのように、私たちは私たちの信仰が正しいということを知るべきです。キラキラ

 そして、アブラハムがロトを救い出す時にしたように、私たちは主が私たちとともにおられるということを知らなければいけません。キラキラ

 そしてまた、エリコの町の時のように、私たちは神の力を信じなければいけません。キラキラ

 神様は力であり強さであり、私たちはその神の力が働くための器にすぎないのです。

 働かれるのは神様であって、私たちがすべきことは神様が私たちを通して働いてくださるように大胆になることだけなのです。第一コリント15:57~58。キラキラ

 ですから、私たちが日本で少数派であるからといって、勇気をなくさないようにしましょう。私は勇気があたえられるように祈ります。キラキラ

 私たちは主の力を持っているということを知っています。私たちはその力を使って信仰を伝え、多くの日本人を信仰に導く必要があります。神と共にいるなら、人数や外から見える力は問題ではありません。キラキラ

 神を信じ、イエスに信頼し、聖霊の力を持つかどうかが問題なのです。そして、私たちはそれらを持っているのです。キラキラ

 今、日本において、私たちの生きているこの場において、ハヌカの奇跡が今も行われているのです。なんとわくわくすることではありませんか。     宮本 純子キラキラ

キラキラ神様からの祝福が豊かにありますように。キラキラ

Posted by eli